田中里佳 名古屋米国領事館 広報文化教育担当

およそ50年前、世界で初めて障害者のための自立生活施設がカリフォルニアに開設された。そしてちょうど今から30年前に障害のあるアメリカ人法(Americans with Disabilities Act、以後“ADA”と表記)制定により公民権運動にあらたな章が書き記された。その活動のともし火は太平洋を渡り、ここ名古屋の先駆的な障害者の権利擁護団体であるAJUにも届いている。そこには米国領事館とともに手を取り合い、歩んできた道のりがあった。

深いルーツ

AJUの歴史は1971年までさかのぼる。当時、名古屋で障害を持つ人々のグループとその支援者が集まり公共交通機関やその他の社会サービスへのバリアフリー化が唱えられていた。車いすでアクセスできる公衆トイレや電車のプラットフォームがまだ無かった時代である。彼らはのちに名古屋で長年活動していたイエズス会の宣教師による障害者の権利運動である「愛の実行運動」(Aino Jikko Undo)に加わり、その名を冠した団体AJUを設立し障害者の生活環境の向上のため取り組んできた。AJUがこれまでに築き上げてきたものには、サマーキャンプ、車いすセンター、障害者の働く場となるワイナリーなどがある。中でも1990年に開設された社会福祉法人AJU自立の家は、重度の障害を持つ人々の自立生活と介助生活のバランスのとれた施設である。

そのAJUのメンバーに内海千恵子さんと辻直哉さんがいる。彼らは名古屋の米国領事館と共に協力し、東京、大阪間に位置し1500万人の人々がいるここ中部日本で、障害者の権利に対する意識向上に尽力してきた。

目を開かせてくれた2つの単語

内海さんは10万に1人と言われる難病の脊髄性筋委縮症を乳幼児時代に発症。2016年に領事館の推薦により米国務省の文化交流プログラムであるインターナショナル・ビジター・プログラム(International Visitor Leadership Program、以後“IVLP”と表記)で渡米し、「インクルーシブ教育」をテーマに米国内の学校などを視察した。帰国後もAJUでの車いすセンターの活動に加わり、自身についてメディアや講演を通じ、現在も多くの人々へ発信し続けている。

内海千恵子さん。米国内の視察先となったカリフォルニア州バークリーでは、車いすスポーツを指導している男性(中央右)に話を聞いた。2016年4月

内海千恵子さん。米国内の視察先となったカリフォルニア州バークリーでは、車いすスポーツを指導している男性(中央右)に話を聞いた。2016年4月

IVLPではワシントン、ニューヨーク、サンフランシスコを3週間かけて訪問した。滞在中最も印象に残ったのが、「ラーニング・ディファレンス」(learning differences)という言葉を知ったマンハッタンの学校である。そこで彼女は多様性の力をあらためて理解し、障害という定義で縛られない環境を目の当たりにしたという。またワシントンではADAの歴史などについて深く学ぶことができたそうだ。カリフォルニアのバークレーではAJU自立の家の目指すところでもあった障害者自立生活センターも訪れた。米国滞在を通して感じたのは、公共交通機関での席の利用のしかたなどの実際の身近な生活の中で、ADAの存在が大きく、障害者が権利を主張することにためらいを感じさせないことだと言う。さらに日本では障害者の権利意識がまだ不足しているのではないかと続ける。その一方で、日本は人工呼吸器をつけて就学している子供がいたりする融通のきく環境もある。米国を訪れたことでそれぞれの現状を肌身で感じ、良いところ、改善できるところが見えてきたそうだ。

擁護者とモデルの二役

辻直哉さんは九州で20代の時にバイクでの交通事故から脊髄損傷を負い車いすを使用することになった。1998年入院していた施設から名古屋のAJU自立の家に移った。はじめての自立生活に困難を経験しつつも、その後大学に進み、現在はAJUの事業の1つであるヘルパー派遣の管理を行う。また自ら設立したNPO法人「チャレンジド」の理事長を務めるなど障害者の自立にむけて精力的に活動を続ける。

ジョイス・ベンダー氏を迎えた障害者雇用における日米の現状と課題についての講演会。2018年4月16日

ジョイス・ベンダー氏を迎えた障害者雇用における日米の現状と課題についての講演会。2018年4月16日

辻さんは2014年に大使館主催の全国規模の講演会の一環で米国の障害者の権利活動家が名古屋を訪れた際に、在名古屋米国領事館とはじめて協力することになった。その後もAJUは領事館とともに2つの講演会を共催。2018年の米国のビジネスコンサルタントであるジョイス・ベンダー氏を迎えた講演会では、障害者雇用が企業にもたらす経済効果などについて彼女から力強いメッセージが発信された。辻さんはそれらの経験はADAの重要性について深く知るもので、大きな刺激となったと言う。その後AJUでは、記念行事にも参加し、世界中から集まってきた障害者と交流や意見交換をし、現在もオンラインでの交流を続けているそうである。

名古屋の隣にある国

AJUが支援し、1984年にスタートさせたハンディマラソン。これは車いす使用者と健常者がともに競技に参加できるもので、走る人、歩く人、車いすに乗る人などさまざまな参加方法で名古屋のシンボルであるテレビ塔を周回する。大会が郊外にひきこもりがちな障害者に参加の機会をつくり、また障害者が多くの人々の目にとまることで、社会における障害への関心を高めることを目指した。そのマラソンに名古屋の米国領事館からは外交官達や領事館職員が2015年から毎年参加してきた。辻さんは車いすを押され、街中をともに走っていることに、とても感動を覚えたという。これまでにこのような形で米国政府とのかかわりは無かったが、日本に居ながらにして、アメリカをとても身近に感じるきっかけになったようで、「ドラえもんのどこでもドアを手にいれた気分!」と笑顔で語ってくれた。

「ドラえもん」を手にする辻直哉さん

「ドラえもん」を手にする辻直哉さん

辻さんはAJUを基盤に平等なアクセスと平等の権利について多くの人に伝えていきたいと意気込む。そして、名古屋の米国領事館には必要な時は常に手を差し伸べ、時には後押ししてくれることを望んでいると続けた。その声に応えるためにも、領事館ではAJUおよび中部日本における障害者の権利を擁護するその他の支持者の立場に立って、社会の理解を促し、交流を深めていくことが重要であろう。領事館はドラえもんのように「どこでもドア」は持たないが、これからもより多くの人々に扉を開く努力をし続けていくことは間違いない。

バナーイメージ:2018年ハンディマラソンでシェイファー首席領事と参加し、6位でゴールした辻直哉さん