リリー・マクフィーターズ 米国大使館インターン

想像してみてください。あなたは今、オレゴン州ポートランド市中心部の、にぎやかな地区にいます。あたりにはコーヒーの香りが漂い、自転車が音を立てて猛スピードで通り過ぎる―こうした慌ただしい日常の喧騒(けんそう)から逃れられる場所、あなたを別世界にいざなう場所が、この町の小高い森の中に隠れるようにたたずんでいます。ポートランド日本庭園です。

ポートランド日本庭園の一画にあるStrolling Pond Garden。池の周りを散歩できます (Photo by Bruce Forster)

今回私たちは、ポートランド日本庭園のCEO、スティーブ・ブルーム氏から、この日本庭園に対する彼の思いを伺いました。ブルーム氏は、これまでに日本を計73回訪れており、うち1回は、外交問題評議会のフェローとしての来日であり、東京農業大学で、日本庭園が草の根外交の形成に果す役割について研究しました。

ポートランド日本庭園のCEO、スティーブ・ブルーム氏

ポートランド日本庭園には、8つの異なる様式の庭園、図書館、研修センター、さらにはカフェまで併設されています。この庭園は静かで心安らぐ場所であるだけでなく、生きた教室です。最初に庭園を設計した東京農業大学の戸野琢磨教授の意図は、庭園を日本のさまざまな面を伝える場にする、というものでした。例えば、日本人アーティストが、美術館の白い壁ではなく、庭園や美しい障子を背景に作品を展示するという使い方です。またインスピレーションを求めて庭園を訪れる芸術家もいて、ここで浮かんだアイデアに沿って作品を創作することもあります。

ポートランド日本庭園は、1000年に及ぶ伝統と、庭園内に新設されたCultural Villageが示す21世紀の現代美学を融合させています。Cultural Villageは、2020年東京オリンピックの会場となる新国立競技場を設計した建築家、隈研吾氏の手によるもので、日本庭園に関する世界最大の蔵書を誰でも閲覧できます。また研修センターでは、来園者が、日本庭園の設計、建築、管理について学ぶことができます。日本以外ではまず得られない機会です。ポートランドではコーヒー文化が深く根付いていますが、味の素社が経営する「うまみカフェ」では、コーヒー愛飲者に日本の味を知ってもらおうと、もっぱらお茶を提供します。カフェを訪れる人はまた、日本独特の「おもてなし」を体験することもできます。実は、庭園で働く全従業員は、来園者に日本と同じレベルの接客サービスを提供するため、「おもてなし」研修を受けなければなりません。

味の素社が運営する「うまみカフェ」 (Photo by Bruce Forster)

この庭園では、「見立て」(対象を他のものになぞらえて表現する)、「もったいない」(物を無駄にしない)、「一期一会」(ひとつひとつの出会いは、それぞれが唯一無二)など、他の日本文化の考え方も大切にしています。「何千という人たちがそれぞれ自分なりに庭園を楽しみ、毎日多くの『一期一会』があります」とブルーム氏は説明します。瞑想(めいそう)に来る人、人と交流するために来る人、亡くなった愛する人を悼みに来る人などさまざまです。日本庭園と太平洋岸北西部の環境を、最高の形で、完全に一体化させています。造園に使用された素材でさえ、日米の異なる文化の融合を表しています。というのも日本庭園設計の原則の1つに、地元素材の使用があるからです。例えば、庭園の石垣は全て、オレゴン州でしか採掘されないベーカーシティ青系花崗岩で造られています。

ポートランド日本庭園で見られる石垣 (Photo by Tyler Quinn)

しかし、ポートランドと日本の関係は、常に現在のように友好的だったわけではありません。1959年、ポートランドと札幌は姉妹都市提携を結びましたが、このときはまだ第2次世界大戦が終結して20年もたっていませんでした。1961年、当時の皇太子ご夫妻がポートランドを訪問され、アメリカに日本庭園を造ろうという機運が盛り上がりました。ところがブルーム氏が私たちに語ったところによると、1963年に着工したとき、初代庭園ディレクターの平欣也氏は、戦争の傷がまだ癒えていないことを肌で感じたそうです。庭園の責任者を務めていた彼のトレーラーに、スプレーペイントを使い、卑猥な表現で反日の言葉を書き、「日本に帰れ」と言う者がいたのです。この経験で深く傷ついた平氏は、二度とポートランドに戻らないと誓いました。それでも、ポートランド日本庭園は開園50周年の記念行事に平氏を招待しました。庭園側が懸命な説得を続けた結果、平氏はポートランドを再訪することを承諾しました。さまざまな50周年の祝賀イベントが行われた週には、何万もの人々が庭園を訪れ、庭園の歴史の初期に平氏が払った努力に感謝の気持ちを表しました。

ブルーム氏によると、平氏は今では、ポートランド市民とポートランド市を熱烈に支援しているそうです。ポートランド日本庭園は、アメリカで日本に対する理解を深め、日米両国民の関係をより緊密なものにするために重要な役割を果してきました。ブルーム氏は言います。「戦後70年がたち、日米以上に素晴らしい友好関係を築いた国はありません」