結婚式や商談成立の祝杯。心地よい暖炉のそばで、あるいは高級バーですする一杯。庶民的な酒場や、にぎやかな競馬場でレースを見ながら味わう一杯。アメリカンウイスキーは長年にわたり、さまざまなシーンを彩ってきました。この琥珀色のスピリッツは、カクテルやオンザロック、ストレートでも楽しめ、暑い夏には爽やかな気分に、冬には心身ともに温めてくれます。

5月17日、ビル・ハガティ駐日米国大使はアメリカと日本のウイスキーを紹介し、日米の強固な経済関係を祝すレセプションを大使公邸で開きました。会場には政財界から200人以上のゲストが駆けつけ、ケンタッキー州のマット・ベビン知事の乾杯のあいさつで幕を開けました。

「日米両国、とりわけケンタッキー州に、今晩いただくスピリッツに、日米両国民の『スピリット』に、そして日米の友情と協力関係が今後も末永く続くことを願って。乾杯!」

駐日米国大使公邸で開かれたレセプションで乾杯するケンタッキー州のベビン知事

ウイスキーは全米各地で製造されていますが、そのほとんどは13の大手蒸留所が手がけています。このうち10カ所はウイスキーをバーボンと呼ぶケンタッキー州に、残りの3つはテネシー州とインディアナ州にあります。

しかし歴史的には、ウイスキーは自作農たちによって作られていました。トウモロコシ、大麦、ライ麦や小麦を水と混ぜ、できた糖化液を発酵・蒸留させ、その後木の樽で寝かせ、熟成させる。そのような手間をかけて、自分たちが育てた「琥珀色に波打つ穀物」を貯蔵していました。

ゲイリー・リーガンとマーディー・ハイディン・リーガンの共著 “The Book of Bourbon” によると、アメリカに渡ってきた初期の入植者たちは、ビール、ワイン、果実酒、ラム酒を造っていました。ニューヨークのオランダ人入植者たちがトウモロコシとライ麦を使って蒸留酒を造り始めたのは、1640年頃のことです。直火でアルコールを加熱する蒸留は危険を伴いましたが、農民たちにとってはいいことずくめでした。木を伐採することで開墾が進み、伐採した木から薪や樽を作りました。売れ残った穀物を発酵させて蒸留酒を造り、一方、残った穀物カスは家畜の飼料として活用しました。できたウイスキーは、生の穀物のように腐る心配もなく、簡単に市場に出荷・販売することができました。

公邸の玄関近くに停められたテネシー・ウィスキー「ジャック・ダニエル」のトラック

後に初代アメリカ大統領となった独立戦争の立役者、ジョージ・ワシントンを語るにあたり、ウイスキーは欠かすことができません。独立戦争の総司令官として、「強いアルコールの適度な使用が有益であることは、全ての軍隊で経験済み。疑う余地はない」とし、一定の管理の下、アルコールを各部隊に配給することを支持しました。1797年には農園主として、当時アメリカで最大級のウイスキー蒸留所を建設し、バージニア州に所有するマウントバーノン農園で栽培したトウモロコシやライ麦を使ったウイスキー造りを始めました。大統領だった1792年には、民兵を招集し、独立戦争の負債を返済するため導入したウイスキー税に反対するペンシルバニア州の農民の反乱を鎮圧しました。

このとき、農民の中にはケンタッキー州へ逃げたものもおり、そこでトウモロコシを原料としたウイスキー造りが始まりました。ウイスキーの一大産地となったのがバーボン郡で、ケンタッキー産ウイスキーが「バーボン」と呼ばれるようになったゆえんは、おそらくここにあります。樽詰めされたウイスキーは、オハイオ川、ミシシッピ川を下り、ニューオーリンズへと出荷され、有名な「バーボン・ストリート」のバーで売られました。「バーボン・ストリート」という名前は、そこから来ているのかもしれません。

名前の由来はさておき、ケンタッキー・バーボンとは、原料にトウモロコシを51%以上使用し、かつ内部を焦がした新品のオーク樽で熟成したものを指します。隣のテネシー州では、さらに一手間かけなければなりません。原酒を樽詰め・熟成する前に、10フィート(約3メートル)以上敷き詰めたサトウカエデの木炭でろ過します。この工程を経たものを、テネシー・ウイスキーと呼びます。

「アメリカ産スピリッツ、特にウイスキーは、世界のカクテル界でひっぱりだこです」と米国蒸留酒協議会のシニア・バイスプレジデント、クリスティン・ロカシオ氏は言います。「アメリカンウイスキーの伝統、そしてカクテル作りで他の材料と相性が良く、万能なことから、世界の消費者はアメリカンウイスキーに魅せられ、より高価なアメリカ産スピリッツを求めるようになっています」

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しかし21世紀の現在、アメリカンブランドを所有しているのは必ずしもアメリカ企業とは限りません。例えば、「ジムビーム」「メーカーズマーク」「ノブクリーク」のバーボンブランドを所有しているのは、世界第3位の蒸留酒メーカー、日本のビームサントリーです。サントリーが日本でウイスキー製造を始めたのは1929年のことです。

大使公邸で開かれた5月17日のイベントでは、ビームサントリーが、アメリカンブランドと共に「山崎」「白州」「響」を提供しました。日本とアメリカがウイスキー事業で協力いること、両国が共にウイスキーを愛していることの表れです。ケンタッキー州に本社を持つブラウン・ホーマンからは「ジャックダニエル」と「ウッドフォードリザーブ」。フォアローゼズやニッカウヰスキーといった小規模の蒸留酒メーカーも参加しました。

ハガティ大使(中央)とケンタッキー州のベビン知事(左)、愛知県の大村知事(右)

愛知県の大村秀章知事は、来場者へのあいさつの中で、昨年秋にベビン・ケンタッキー州知事を訪ね、日米間の投資機会の促進を呼びかけた話を紹介しました。「ケンタッキー州フランクフォートに着いたのは、雨が降る寒い日でした。でも、ベビン知事から温かい南部のおもてなしと最高のケンタッキー・バーボンをいただき、心身ともに温まりました」。日米の友好が、両国共通のウイスキー愛によってさらに深まったことを示す、よい話でした。

大使公邸でのレセプションは一夜限りでしたが、日米の人々は世界中どこでも、皆で集まり、アメリカンウイスキーを心から味わっています。