国務省は、世界180カ国に275の在外公館を有し、3500もの建物を所有あるいは賃借しています。なかには古い歴史や興味深い逸話が残る建物もあり、その一例をご紹介します。

旧米国公使館(ソウル)

(State Dept.)

米国政府が所有する在外公邸で最も古いものが、韓国・ソウルにある旧米国公使館です。1880年代に、初めて韓国に駐在した米国公使が使っていました。現在は、在韓国米国大使館の迎賓館として使用されています。赤レンガにガラス窓の組み合わせは、韓国の伝統建築と西洋の様式を融合したスタイルです。

大使公邸(東京)

(State Dept.)

米国政府が大使公邸用として最初に建築した建物の1つで、広々とした部屋と庭は、東京中心部に浮かぶオアシスのようです。ここは、1945年に昭和天皇とダグラス・マッカーサー将軍が会見した場所でもあります。

大使公邸でひときわ目を引くのは、歴史ある、重厚な銅製のドアです。20世紀前半から、幾人もの日本の首相や7人のアメリカ大統領を迎えてきました。2018年に修復され、建築当時の光沢と機能性がよみがえりました。

大使公邸(ブエノスアイレス)

(State Dept.)

アルゼンチン・ブエノスアイレスにある米国大使公邸「パレシオ・ボッシュ」は、同国のボッシュ外務大臣の邸宅として1912年から1917年にかけて建築されたものです。設計はフランス人建築家のレネ・セルヘントが手がけ、建築資材や装飾品は全てフランスから輸入しました。米国はこの邸宅をボッシュ家から1929年に購入しました。

1994年から始まった全面改築では、地元の職人が工事にあたりました。この職人たちは、当初の邸宅を建築した職人たちの子孫にあたります。

総領事公邸(カサブランカ)

モロッコの総領事公邸「ヴィラ・ミラドール」は、第2次世界大戦の行方を決定づける出来事の舞台となった場所です。1943年1月、フランクリン・ルーズベルト大統領はここで、英国のウィンストン・チャーチル首相とカサブランカ会談を行いました。この連合国首脳会談でチャーチルは、連合国はヨーロッパ大陸ではなく、シチリア島に侵攻すべきとルーズベルトを説得し、後にこの作戦は大成功を収めました。写真(右)は、チャーチルがカサブランカ滞在中に「作戦司令室」とした部屋で、ここで全戦域を記した地図を広げ戦略を練りました。

戦後、米国が元の所有者から購入しました。

大使公邸(モスクワ)

(State Dept.)

ロシアの米国大使公邸「スパソ・ハウス」は、ロシアの新古典主義を色濃く残す20世紀初頭の代表的な建築物の1つです。米国政府はこの邸宅を1933年に取得、以降、音楽家や芸術家をはじめ、歴代米国大統領やロシア大統領など、さまざまな要人をもてなしてきました。

大使館(ティラナ)

(State Dept.)

アルバニアの首都ティラナにある米国大使館(1929年竣工)は、米国政府が初めて建築した在外公館の1つです。ジョージ・ワシントンのマウント・バーノン邸宅のような、18世紀の米国で見られたプランテーション邸宅の面影を残します。設計に関わった建築家の1人であるネイサン・ワイエスは、ウィリアム・ハワード・タフト大統領のためにホワイトハウスの最初の大統領執務室も設計しました。

この建物は冷戦時、イタリア大使に貸し出されましたが、1991年に米国とアルバニアが52年ぶりに国交を正常化すると、再び米国大使館が使うことになりました。

大使公邸(ロンドン)

(State Dept.)

駐英米国大使公邸「ウィンフィールド・ハウス」は、ロンドンのリージェント・パークに隣接しています。公邸の庭は広さ5ヘクタールに及び、ロンドン市内ではバッキンガム宮殿に次いで2番目に大きい庭となります。

第2次世界大戦中には、英国王立空軍の将校クラブやカナダ軍兵士の療養施設として使用されました。

大使公邸(パリ)

(State Dept.)

フランスにある米国大使公邸の歴史は、この邸宅の庭と同じくらい華やかです。1852年から1855年にかけて、ニューオーリンズ出身の裕福な遺産相続人、ミカエラ・アルモナステール・デ・ポンバルタ夫人の邸宅として建築され、その後、彼女の息子たちにより、ロスチャイルド財閥のエドムンド・ド・ロスチャイルドに売却されました。

第2次世界大戦中は、ナチスの将校クラブとして使用されました。戦後、米国政府が、米国広報文化局(USIS)の施設として取得しました。また、欧州復興計画「マーシャル・プラン」に携わる職員が働く事務所としても活用されました。1966年に修復工事を開始、以降半世紀の間に、ロスチャイルド家の好意および競売を通して、当初使われていた調度品が取り戻されました。

大使公邸(ハノイ)

(State Dept.)

ベトナム・ハノイにある大使公邸の歴史は1921年までさかのぼります。フランス植民地政府が建築したものですが、1954年にフランスが東南アジアから撤退すると、ベトナム政府高官の邸宅として使われ、また外国文化交流委員会および外務省の事務所としても活用されました。

米国大使公邸となったのは、米国とベトナムが国交を樹立した1995年です。ベトナム戦争で戦争捕虜となり、後に初代駐ベトナム米国大使となったダグラス・ピート・ピーターソンが最初の住人です。

大使館(ローマ)

(State Dept.)

イタリアの公館が大使館に昇格したのは1893年のことです。以降、両国は、第2次世界大戦で国交が断絶した3年間を除いて、外交関係を維持してきました。ローマにある在イタリア米国大使館はかつて、初代イタリア女王マルゲリータの宮殿でした。1926年に女王が亡くなると、宮殿は、全国ファシスト農民連合の事務所として分割され、その後1946年に米国が購入しました。