アミア・ミラー

TOMODACHIイニシアチブは、「トモダチ」という言葉の精神をどのように具体化しているのでしょうか。2011年3月11日の東日本大震災で救援や支援活動を行った米軍と自衛隊との共同作戦として始まったものが、その後月日を経て、さらに大きく重要なものとなりました。

日米共同の「トモダチ作戦」は東北地方の多くの人に大きな影響を与えましたが、TOMODACHIイニシアチブの方がずっと大きく、重要な活動になったと言っても過言ではありません。今でも東北の人たちは、救援活動に駆け付けてくれた米軍兵士や女性兵士のやさしさを語り続けています。トモダチ作戦は終了後、責任のある重要な仕事を残しました。この仕事を引き継いだのが、TOMODACHIイニシアチブです。その道のりは、時には短距離競争であり、マラソンレースでもありました。

プログラム参加者と談笑するジョン・ケリー国務長官とジョン・ルース大使。TOMODACHI世代はグローバルな課題を解決する潜在的な力があると話す。2013年撮影(写真提供:TOMODACHIイニシアチブ)

プログラム参加者と談笑するジョン・ケリー国務長官とジョン・ルース大使。TOMODACHI世代はグローバルな課題を解決する潜在的な力があると話す。2013年撮影(写真提供:TOMODACHIイニシアチブ)

2011年春、ジョン・ルース大使(当時)が東北の被災地を次々と訪問しました。TOMODACHIイニシアチブが生まれたきっかけとなったのが、陸前高田市の戸羽太市長との会話です。戸羽市長との会談で大使は2つの質問を投げかけました。「皆さんは何を必要としていますか。アメリカができることはありますか」と。

戸羽市長は、当時をこう振り返ります。

「外国の政府高官がこのような質問をするためにわざわざ来るなんて、信じられないという思いでした。日本の政治家はたいがい儀礼的で具体的なことを言いません。私はそういうタイプの政治家ではありませんでした。そうでなくてよかったと本当に思います。人々は打撃を受け、悲しみに打ちひしがれていました。陸前高田では多くの人が家族を失い、何千人もの人が亡くなり、家も学校も店も破壊されました。最悪の日々でした。だから私は、私たち全員に必要なものを頼みました。希望が持てる理由をお願いしたのです」

TOMODACHIイニシアチブはその後、米日カウンシルと在日米国大使館の官民パートナーシップとなり、日本政府の支援も取り付けました。しかし、その原点は、政治的なことを脇に置き、人間として互いの状況を認識しながら、一人の人間が相手に問いかけたことにあります。その質問に相手は正直に答え、このやりとりが歴史に残る国際的な活動を生み出しました。

2人の率直なやりとりは、政財界のあらゆるレベルの人たちを動かしました。学校、財団、市民グループは資金調達活動を行い、銀行、小売店、製造業者、航空会社、自動車メーカーなどの企業経営者は協力を拡大し、一個人として時間とお金を費やしてくれました。「正しい行動をする」という思いが、彼らを動かしたのです。TOMODACHIイニシアチブは、生活様式の異なる2つの国、2つの社会が、主義主張を捨て、全てを失った地域を救うため団結した日米の歴史のある瞬間を凝縮したものなのです。

モルガン・スタンレー「TOMODACHI 世代の構築」プログラムで市民社会について共に学ぶ日米の学生(写真提供:TOMODACHIイニシアチブ)

モルガン・スタンレー「TOMODACHI 世代の構築」プログラムで市民社会について共に学ぶ日米の学生(写真提供:TOMODACHIイニシアチブ)

TOMODACHIイニシアチブは開始から300以上のプログラムを展開し、延べ9000人以上の日米の若者が参加してきました。彼らはここで生まれた絆、一生涯の友情、つながりを携え、双方の文化に精通した新世代へと育っています。彼らが持つ新しい考え方は学校で教わるものではありません。それは、エネルギー、やる気、そして頑張りぬく力にあふれたプログラムを通してのみ習得できるものです。笑いあったり、反省したり、時には涙を流したりして(特にお別れ式で)、参加者はTOMODACHI世代の一員となっていきます。

石巻を訪れた日米の学生たち(写真提供:TOMODACHIイニシアチブ)

石巻を訪れた日米の学生たち(写真提供:TOMODACHIイニシアチブ)

近年TOMODACHIイニシアチブは、東北以外からの参加者にも門戸を広げています。中高生から若手社会人までさまざまな年齢層の参加者を迎え、互いに与え合い学びを地域に還元することを身に着け、異文化を理解する次世代リーダーの育成を目指しています。

いつの日かTOMODACHI同窓生がこの10年を振り返り、何千人もの若者の体験談を書き綴る日が来ることでしょう。例えば、東北地方の高校生が東京の大使館を訪問し、ルース大使と会ったことがあります。高校生たちは大使を囲んで座り、自らの体験を語りました。大使の「男の子だって泣いていいんだよ」と言う言葉で、17歳の男の子たちがぽろぽろと涙を流し始めました。行き場を失っていた痛みと悲しみが一気にあふれ出たのです。また、震災で母親を亡くした高校生がホームステイプログラムに参加し、受け入れ先の母親をそれ以来「お母さん」と呼び、慕うようになりました。

岩手県出身のある女性は、TOMODACHIイニシアチブを「助け合い、支え合い、お互いを大切にしながら人生を生きること」と表しています。まさにその通りです。

TOMODACHI プログラムでの一コマ(写真提供:TOMODACHIイニシアチブ)

TOMODACHI プログラムで交流する日米の若者(写真提供:TOMODACHIイニシアチブ)

ルース大使は被災地への訪問から「希望」を求める声と共に東京に戻ってきました。それは、若い世代を含む日本人全員が待ち望んでいたものでした。それには前例も、ひな形も、マニュアルもありませんでした。必要だったのは行動を起こすこと。それこそが、「トモダチ」という言葉の精神を具現化するものです。やりとげる。そのために、私たちは互いを必要としているのです。

TOMODACHI卒業生の清水健佑さんはこう言います。「元気な日本を取り戻すことができるのがTOMODACH世代。さあがんばろう!」

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アミア・ミラー:日本で生まれ育つ。震災後の東北でボランティア活動をするため2011年3月下旬に日本に戻る。陸前高田市の海外広報ディレクター、特別顧問を9年間務める。現在はオレゴン州ポートランド在住。

バナーイメージ:モルガン・スタンレー「TOMODACHI 世代の構築」プログラムでリーダーシップトレーニングに参加する学生。社会的課題にアプローチする起業について話し合う(写真提供:TOMODACHIイニシアチブ)