米国への留学生の数が史上最多を記録している。

こうした留学生と、これから紹介する8人の著名人との間には共通点がある。このセレブたちは人生の一時期、米国で勉強した経験があるのだ。専攻分野は外国語、法律、演劇など多岐にわたるが、誰にも学生時代の楽しい思い出がある。

ルピタ・ニョンゴ

メキシコ生まれケニヤ育ちの女優ルピタ・ニョンゴは2007年、ハンプシャー大学(マサチューセッツ州)で映画・演劇学の学士号を取得した。数年後、米国に戻り、イェール大学演劇大学院で芸術学修士号を取得した。

「イェール大学で受けた教育は、役者としての私の中核を成している。それ以前は想像力にまかせて本能のまま演技した。だがイェールで、演技とは誰かのふりをすることを自分に許すことだと学んだ」。ニョンゴはヴォーグ誌のインタビューでこう語った。イェール大学を卒業して1年後、彼女は「12 Years a Slave」(邦題:それでも夜は明ける)で自身初のアカデミー賞を獲得した。「米国には、未来は自分で切り開くという考えを持っている人が大勢いる。やりたいことは何でもできる。その精神が人を動かす」とニョンゴは言う。

2015年カンヌ映画祭でのルピタ・ニョンゴ (Shutterstock)

2015年カンヌ映画祭でのルピタ・ニョンゴ (Shutterstock)

ヨルダンのアブドラ国王

ヨルダンのアブドラ国王は、マサチューセッツ州ディアフィールドの中学校と高校に通った。大学入学の準備をする名門私立学校で楽しい時間を過ごした国王はその後、その仕組みを取り入れた寄宿学校をヨルダンに創立した。米国の教師から「代数と英語以外にも多くを学んだ。彼らは私の中に社会貢献したいという熱意を植えつけた」と国王は語った。

ヨルダン軍で数年間勤務した後、アブドラ国王は米国に戻り、ジョージタウン大学外交学部の社会人向けプログラムで学んだ。

ヨルダンのアブドラ国王とラーニア王妃 (© AP Images)

ヨルダンのアブドラ国王とラーニア王妃 (© AP Images)

エマ・ワトソン

エマ・ワトソンは文学を勉強するためブラウン大学に入学する前から、映画「ハリー・ポッター」シリーズのハーマイオニー役で国際的な名声を得ていた。彼女が米国の大学を選んだのは、多くの科目を一度に学べるからである。「歴史が好き、そして英語も。絵も描くのでビジュアルアート(視覚芸術)が好き。その全てを勉強できて楽しかった」とヤフーに語った。

2014年、ブラウン大学での卒業式後のエマ・ワトソン (© AP Images)

2014年、ブラウン大学での卒業式後のエマ・ワトソン (© AP Images)

ディケンベ・ムトンボ

ディケンベ・ムトンボは、医学を勉強するため、奨学金を受けてワシントンのジョージタウン大学に留学した。だが身長218センチの彼は、すぐにバスケットボール部に勧誘された。最初は「ここに来たのは勉強するためだ」と断ったムトンボだったが、1年目が終わる前に態度を軟化させバスケットボールを始めた。それが18年に及ぶプロバスケットボール選手としてのキャリアにつながった。

ムトンボは大学についての考えをこう語った。「学生や教職員など、多くの素晴らしい人々に出会った。その人たちはもう自分の家族のようなものだ」

「特にアフリカ出身者にとっては、文化が少し違う。米国は全ての人が大きな夢を追いかけているチャンスの地だ」とムトンボは言う。彼はバスケット以外の夢も追い求め、米国連邦議会でインターンとして働き、外交と言語学を学んだ。

対ユタ・ジャズ戦のプレーオフでシュートするヒューストン・ロケッツのディケンベ・ムトンボ (© AP Images)

対ユタ・ジャズ戦のプレーオフでシュートするヒューストン・ロケッツのディケンベ・ムトンボ (© AP Images)

コフィー・アナン

前国連事務総長であり、ノーベル平和賞も受賞したコフィー・アナンは、ミネソタ州マカレスター大学の学士課程で学んだ。ガーナの外交官として働いた後、米国に戻りマサチューセッツ工科大学で経営学修士号を取得した。

先ごろ、アナンが母校マカレスター大学を訪れた際、1960年に行われた卓球大会でのの活躍が学生たちに紹介された。アナンは「(大学時代の)私の最大の功績、最も重要な活動が卓球だったという印象を学生に与えたのではないかと思った。その話が出た時の拍手が一番大きかったから」と述べた。しかしその後で、冗談混じりに次のように付け加えた。「卓球をするのは楽しいと認めるけれど」

2007年世界経済フォーラムで演説するコフィー・アナン (Courtesy photo)

2007年世界経済フォーラムで演説するコフィー・アナン (Courtesy photo)

キム・ジェソプ

Kポップ・バンド、ユーキス(U-KISS) のメンバー「AJ」ことキム・ジェソプは、コロンビア大学で心理学を勉強している。彼がニューヨーク・ポスト紙に語ったところによると、日ごろニューヨークの町を歩いていても気づかれることはめったにないが、ある晩、韓国料理が無性に恋しくなり韓国人街に行ったところ、食事後に1人のファンが「私はキスミー(KissMe)よ」とあいさつしてくれた(ユーキスのファンは自分をキスミーと呼ぶ)。AJは次のように言う。「ニューヨークで僕をシンガーとして気が付いてくれた人がいた。一緒に写真を撮ったよ」と

ユーキスのメンバー「AJ」ことキム・ジェソプ(写真中央) (Courtesy photo)

ユーキスのメンバー「AJ」ことキム・ジェソプ(写真中央) (Courtesy photo)

ペネロペ・クルス 

ペネロペ・クルスは、ニューヨークにあるクリスティナ・ロタの演劇学校で勉強した。映画「Todo sobre mi madre」(邦題:オール・アバウト・マイ・マザー)、「Vanilla Sky」(邦題:バニラ・スカイ)、「Volver」(邦題:ボルベール<帰郷>)に出演する前のことだ。ニューヨークのショーウインドーで見た広告がきっかけとなり、音楽ビデオでデビューした。

米国で勉強する魅力の1つは、映画業界の規模が大きいので、俳優として仕事を見つけるチャンスが多いことだ、とエル・ムンド紙に語っている。

「The Counselor」(邦題:悪の法則)の特別上映会の前にレッドカーペット上でポーズを取るペネロペ・クルス (Shutterstock)

「The Counselor」(邦題:悪の法則)の特別上映会の前にレッドカーペット上でポーズを取るペネロペ・クルス (Shutterstock)

クリスチャン・アマプール

ロンドンで生まれイランのテヘランで育ったクリスチャン・アマプールは、ロードアイランド大学でジャーナリズムを勉強するため米国留学した。自らのキャリア志向が後年の成功につながったと、ハーバード・ビジネス・レビュー誌で語っている。「学部生の多くが、将来何をしたいのか分かっていないので、ほとんどが決断を先送りして大学院に進む」

グラマー誌の2005年「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」賞を受賞したクリスチャン・アマプール(Shutterstock)

グラマー誌の2005年「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」賞を受賞したクリスチャン・アマプール(Shutterstock)

いつの日か、あなたも大きな成功を収め、ここで紹介したようなリストに載るかもしれない。その第一歩として、アメリカ留学についてEducationUSAで調べてみよう。またShareAmericaのサイトでは、どうすれば留学生が米国の大学で優秀な成績を収めることができるかを知ることができる。