在日米国大使館 報道室インターン 加藤雅貴

2012年にiPS細胞に関する研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授は、現在、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)の所長を務め、再生医療や創薬への利用が期待されるiPS細胞の臨床応用に向け尽力されている。山中先生は、ポスドク時代の1993年から96年まで、カリフォルニア大学サンフランシスコ校と連携するグラッドストーン研究所に留学していた。

山中伸弥教授。iPS細胞研究所の前にて(写真:京都大学iPS細胞研究所)

山中先生にインタビューを依頼しようと考えたのは、私自身の留学に大きく関係する。私は大学で理論物理学を学んでおり、ふとしたきっかけでアメリカ留学に興味を持つようになった。しかし、英語をまともに話すことができない自分がアメリカでの専門的な授業についていけるのか不安に思っていた。そんな時に山中先生の著書を読み、先生が留学先で受けた授業のことを知った。学生が各々プレゼンテーションをして、互いに批評しあう授業だ。「日本では受けられない、このようなユニークな授業を私も受けてみたい」。そう思った私は、カリフォルニア大学デービス校で1年間、学部生として勉強することを決意した。

実際に留学して感じたのは、語学留学や文系留学と比べて、理系は留学に関する情報が少なく、留学のハードルが高いということだった。理系学生が留学するときに一番心配するのは、留学先で日本と同じように研究できるかということ。語学力、文化や研究環境の違いなどに不安があるからだ。そこで、山中先生には留学先での研究に関連する質問をした。

理系学生の留学

まず、留学先で研究者として最も苦労した点と、それを乗り越えた方法について尋ねた。すると実験が思い通りに進まなかったことに一番苦労した、という答えが返ってきた。理論上ではうまくいくはずの実験が、実際にやってみるとうまくいかない。スケジュールの制約が差し迫る中で、焦りを感じることもあったという。

そんな切迫した状況で役に立ったのは、同僚である他の研究者からの、それぞれの経験に基づくアドバイスだったそうだ。多様なバックグラウンドと研究経験を持つ同僚から話を聞けるのも、アメリカ留学の醍醐味だ。

次に聞いたのは、研究に対するモチベーションについてだ。山中先生は留学先で他の研究者の3倍の仕事量をこなしていたという。そのような仕事量をこなすモチベーションや、これを実現する方法について聞いた。

大きなモチベーションは、わざわざアメリカに研究しに来ているのだから、成果を出すまでは日本に帰って研究者としてやっていけないという思いだったという。だから数多くの実験を行い、確率論的に成功する実験の数を増やしたいと考えた。そして、いかに効率的に実験を行うか試行錯誤した結果、待ち時間のある実験を複数組み合わせ、同時平行で実験を行うことで効率化を図った。

ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中教授。2012年12月10日、スウェーデンのストックフォルムで行われた授賞式にて (AP Photo/Matt Dunham)

海外の研究者とのコミュニケーション

理系学生が留学した時に一番苦労するのは、コミュニケーションだといわれている。実際、私自身が留学した時も、多様なバックグラウンドを持っている海外の人たちとのコミュニケーションに一番苦労した。山中先生には、海外の研究者とコミュニケーションを取る上で気をつけていることがあるのだろうか。

この点を尋ねると、先生からは意外な答えが返ってきた。心がけていることは、基本的に日本人同士でのコミュニケーションの時と変わらないという。正直に発言する、何かをしてもらったら感謝をする、自分のミスを人のせいにしないなど、コミュニケーションの基本を大事にしているそうだ。

山中先生の人生訓

山中先生は留学中に、現在はグラッドストーン研究所の名誉所長を務める恩師のロバート・マーレー教授から「VW」という教えを受け、それを胸に研究を続けてきたという。「V」は「Vision」(長期目標)、「W」は「Work Hard」(目標に向かって努力すること)の意だ。成功をつかむためには、VとWのどちらも欠けてはならないという教えだ。先生の今の「Vision」は「iPS細胞技術を使って新しい治療法を開発し、患者さんのもとにできるだけ早く届けること」、「Work Hard」は「そのための組織づくり」だ。後の人生の指針となるような教えを学ぶことができるのも、留学から得ることの1つだと感じた。

グランドストーン研究所ではトーマス・イネラリティ教授(左)の下で研究した (Photo: The Gladstone Institutes)

山中先生は自分の人生を変える大きな決断を何度もしてきた。大学院に進学し、臨床医から研究者に転身した。大学院修了時には、ある研究技術を使える環境が日本にあまりなかったため、何のツテもない状態から自分で留学先を探し、アメリカに留学した。また帰国後、大阪市立大学から奈良先端科学技術大学院大学、さらに京都大学に研究場所を変えた。そんな決断をする際に葛藤はなかったのだろうか。

大きな決断をする際、先生にも常に葛藤があるそうだ。しかし、「やらずに後悔するよりは、やって後悔する」をモットーに、常に「やる」という選択をしてきた。やる選択をしたことで苦労したこともたくさんあったが、やらなくて後悔するよりはよかったと思う。だから、今までやって後悔したことはないという。人生は一度きりだと思って、常に生きているそうだ。「人生を振り返ってもアメリカに留学していたおよそ3年間はかけがえのない時間だった。多くの人にそのような経験をしてほしい」。山中先生から私たち後輩へのメッセージだ。

山中先生にインタビューして感じたのは、先生は決して何でも超人的にこなすスーパーマンではないということだ。先生にあって私に足りないものは、新しい環境に踏み出す勇気ではないだろうか。山中先生も新しい環境の中で苦労して、それを乗り越えてきた。先生にインタビューする前、私は日本の大学院に進学するか、アメリカの大学院に進学するかで迷っていた。アメリカの大学院に進学したいという思いがあった反面、日本よりも厳しいと言われているアメリカの大学院を無事に卒業できるのかという不安があった。しかし、このインタビューを通して、アメリカの大学院を受験し新しい環境に進む決意をした。