山口智弘 在日米国大使館 報道室インターン

9月中旬、アメリカ留学経験がある日本人にインタビューする「アメリカ留学の先輩」シリーズの第1回として、宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙飛行士、星出彰彦さんにインタビューした。星出さんへのインタビューは私が発案したものだ。理由は多々あるが、一番大きな理由は、私がかつて宇宙飛行士を夢見ていたからだ。当時、星出さんのブログを読んで以来、星出さんのお話を直接聞きたいと常々思っていた。

星出さんは4歳の時ワシントンD.C.のスミソニアン博物館を訪れ、宇宙飛行士を志すようになった。その約35年後の2008年、国際宇宙ステーション(ISS)の日本実験棟「きぼう」の本体部分である船内実験室の運搬と設置のため、6人目の日本人宇宙飛行士として宇宙に飛びたった。そして2012年に再び宇宙へ行き、ISSに約125日間滞在。船外活動時間は日本人最長の21時間23分を記録している。

帰還に向けた準備を行う星出宇宙飛行士ら第33次長期滞在クルー / 帰還に向けた準備の一環として、気密検査を行うためソコル宇宙服を着用したユーリ・マレンチェンコ(左)、星出彰彦(中央)、サニータ・ウィリアムズ(右)宇宙飛行士 / 「ユニティ」(第1結合部) / 撮影日:2012年11月6日(日本時間)(Photo by JAXA/NASA)

2012年11月6日(日本時間)、帰還に向けた準備を行う第33次長期滞在クルーのユーリ・マレンチェンコ(左)、星出彰彦(中央)、サニータ・ウィリアムズ(右)の各宇宙飛行士 (JAXA/NASA)

2度の留学経験

星出さんは高校生の時シンガポールに、社会に出てからアメリカに留学した。インタビューの冒頭では、その留学経験がどのようなもので、どのように今の彼を形作ったのか聞いてみた。

星出さんは、毛利さんらが日本人宇宙飛行士1期生に選ばれた高校生のころから、宇宙飛行士を現実的な職業として意識し始めたそうだ。そして宇宙飛行士に何が必要かを考え、頭に浮かんだのが英語力と国際感覚。これらを身に付けるには実際に国際的な環境に飛び込むしかないと思い、留学を決めた。実は、幼少時に4年間アメリカに住んでいたこともあり、英語力に関しては自信があったという。しかし、現地に到着して初日の晩に「叩きのめされた」。寮で他の学生と雑談していると、会話に全然ついていけなかった。授業も全て英語でほとんど分からなかった。「そこから3カ月遊ばずに必死に勉強して授業についていけるようになった」と星出さんは言う。

そして日本に帰国し、日本の大学に進学。卒業後はJAXAの前身の宇宙開発事業団(NASDA)に就職した。その後、宇宙工学を勉強するため、アメリカのヒューストン大学の大学院に留学した。仕事をしながらの通学であったため授業に出られないこともあり、ノートを見せ合うなど、米国航空宇宙局(NASA)ジョンソン宇宙センターで働く学生たちと協力して勉強した。仕事では他のスタッフに打ち合わせなどをカバーしてもらうこともあった。「周りに支えてもらったからできた」と星出さんは言った。ここで得た人的ネットワークはアメリカ留学で得た最も大きな財産の1つだそうだ。

修士課程を修了後、星出さんは日本人宇宙飛行士候補に選ばれた。実は星出さんが宇宙飛行士の試験に挑戦したのはこれが3回目。1回目は大学4年生のとき。NASDAまで足を運び受験申し込みを試みたが、「大学卒業資格」「要実務経験」という受験資格を満たさなかったため断念せざるを得なかった。2回目はNASDAに勤めているとき。最終試験まで進んだものの選ばれることはなかった。このときアメリカ留学を考え始めたという。3回目の挑戦で選ばれた理由について聞いたところ、仕事やアメリカ留学で苦労を重ね、総合力が上がったのではないかと言っていた。2回目の挑戦以降の成長を自身で感じているからこその答えだろう。

Capcomを務める星出彰彦宇宙飛行士 / ジョンソン宇宙センター(JSC)の写真

2010年4月9日、ジョンソン宇宙センターでISSとの通信役となるCapcom(Capsule Communicator)を務める星出彰彦宇宙飛行士 (JAXA/NASA)

諦めないこと

星出さんはサインをするとき、名前の横に「夢の実現」と書き、数々のインタビューでもこれについて話をしている。そこで夢を実現するために最も重要な要素について聞くと、「諦めないこと」という答えが返ってきた。「諦めなければ必ず夢がかなうわけではないことは僕も分かっています。でも宇宙飛行士の試験を2回落ちて、3回目を諦めていたらそこで道はなかったわけですよね。諦めないこと、それから目標に向かって努力することが大切だと思います。そのベースにあるのはやはり好きという気持ちで、物事をやり遂げるにはこの気持ちが大事だと思います」。夢は諦めなければかなう、というのは聞き慣れた言葉である。しかし星出さんは「必ずかなうわけではない」と言った上で、それでも諦めないことが最も重要と答えた。実際に挫折を経験しながらも夢をかなえた星出さんが、私の目をまっすぐ見て言ったこの言葉は、私の胸に強く響いた。

実はこの日のインタビューが始まる前に、私のかつての夢が宇宙飛行士であったことを星出さんにお話しし、医学的特性が応募条件に満たないので諦めたことを伝えた。すると「条件はどんどん緩くなっているから」と仰った。ドキッとした。条件の緩和については自分も知っていたが、それを宇宙飛行士に指摘されたのだ。たった一項目応募条件に満たないというだけでは、宇宙飛行士の夢を諦める理由にはならなかったのかもしれない。星出さんは続けて「まず今の目標を達成して、その後宇宙を目指していただくのはどうでしょう」と言った。「いつか必ず行きます」。私はそう約束した。

インタビューに答える星出彰彦さん

インタビューに答える星出彰彦JAXA宇宙飛行士

「宇宙は怖かった」

続いて宇宙はどんなところか聞いてみた。星出さんの答えは「宇宙は楽しかった。宇宙は黒かった。宇宙は怖かった」。中でも最も印象に残ったのは、宇宙が怖いというお話だった。

「窓から地球と宇宙が見えて、宇宙の果てってどこなんだろうなって目を凝らしながらずっと見ていたんです。真っ暗で、当たり前ですけど底がないんですよね。どんなに焦点を合わせようとしても、壁がなくてどんどん吸い込まれていく感じがして。本当にゴーっという音が鳴って吸い込まれるような感覚に襲われたんです。その吸い込まれる感覚を感じたとき、怖いと思ったんですよね。宇宙って怖い」

その絵は想像できるが、その感覚は想像できない。この話を聞いたとき、無性に宇宙に行きたくなった。そして星出さんが続けたこの言葉が心に響いた。「地球が無かったら人類は宇宙に出て行けない。地球があって、地球にいる人たちが宇宙にいる我々を支えてくれているからこそ、我々は宇宙で生きていられる」

星出さんからのメッセージ

宇宙飛行士と言えば小さいころ夢見ていた人も多いのではないだろうか。私にとって宇宙飛行士は常に憧れの、しかし現実離れした存在だった。しかし、こうして目を見てお話を聞き、幾度も挫折を重ねたことを知ると、星出さんとの距離はずっと近く感じた。

星出さんがインタビューを通して強調したのは「諦めないこと」と「挑戦すること」だった。「縮む日本」と言われて久しい今、我々若い世代は何をするべきか。星出さんのように今自分がいる心地よい環境から一歩外に出て、今の自分に挑戦することが必要なのではないだろうか。そのための選択肢はたくさんあるが、留学もそれらの選択肢の1つだと思う。

最後に星出さんから、若い世代の方々に向けてメッセージをいただいた。

やっぱり自分もそうだったのですが、今いる環境、慣れ親しんだ環境で楽をしようとすればそれは可能です。しかし一歩外に出て、違う環境に身をさらして、刺激を受ける。そうすると視野が広がったり、新しい考え方、価値観が生まれたりすると思います。僕自身も、海外に留学しなかったら、身に付かなかったことも多かったので、ぜひチャレンジしてほしいと思います。それが、ひいてはみなさんの将来につながるんじゃないかと思いますので、ぜひ頑張ってください