留学経験者の紹介

注:( )内はインタビュー時の年齢

二村太郎 (35 歳)
大学の専任研究員です。2001年8月から07年12月まで、ケンタッキー大学大学院地理学研究科の博士課程に在籍していました。J-1ビザでした。

浜田陽太郎 (45 歳)
朝日新聞社の論説委員です。大学卒業後に朝日新聞に採用され、20年勤務しています。フルブライトのジャーナリストプログラムで、2001年から02年までミネソタ大学に留学しました。フルブライト・ジャパン(日米教育委員会)は、経験を積んだジャーナリストを対象に、6~9カ月間米国の教育機関で客員研究員として研究する資金を提供しています。J-1ビザでした。

平川純子 (36歳)
ニューヨーク市にある国連本部で政務官をしています。2000年5月から02年5月まで、フルブライト奨学生としてマサチューセッツ州のタフツ大学フレッチャー法律外交大学院に留学し、法律外交学修士(MALD)課程で学びました。J-1ビザでした。

伊東洋輔(23歳)
ウィスコンシン州のレークランド大学(LCW)の4年生です。アメリカに来て1年半たちます。高校卒業後、レークランド大学ジャパン(LCJ) に入学しました。LCJで合計3年間勉強しましたが、ほかの勉強をする前に、まず英語を学ばなければなりませんでした。そして2年目と3年目に教養課程で学びました。学校がF-1ビザの申請を手伝ってくれました。

樫本くみ (25歳)
1週間前に教員試験を受け、今は結果待ちです。大学卒業後に留学しました。Youth for Understanding(YFU/1951年にアメリカで始まった高校生の交換留学を促進する組織)のコミュニティーカレッジ・プログラムで、米国で2年間勉強しました。私が参加したプログラムでは、ホームステイ先を紹介してくれたり、ESL(English as a second language)の授業やキャンパスでの授業を受けることができました。また航空券や保険を支給してくれました。F-1ビザだったと思います。

Ryoji Kodera (27歳)
ある企業のコンサルタントをしており、大学生の就職活動を指導しています。2004年に米国に留学し、05年5月に卒業しました。LCJで2年間、LCWで2年間学びました。教育学を専攻しました。F-1ビザでした。

小藤理絵(31歳)
今はニュース番組のディレクターです。1997年から2003年まで留学しました。1997年から98年までカリフォルニア大学アーバイン校のESLプログラムに在籍し、1998年から2001年までサンタ・アナ・コミュニティーカレッジでコミュニケーション学を専攻し、放送ジャーナリズムを学びました。2001年から03年まではカリフォルニア州立大学ノースリッジ校で映画・テレビ芸術学を専攻してテレビ制作を学びました。F-1ビザでした。

中瀬陽 (21歳)
レークフォレスト大学で経済学を専攻しており、副専攻はもしかすると教育学か、心理学になると思います。今は大学の2年生で、この8月に3年生になります。F-1の学生ビザです。

大出幸子(32歳)
聖路加国際病院の臨床研究員です。2003年から05年まで3年間留学しました。フルブライトのプログラムで、ボストン大学の大学院で25歳から26歳まで勉強しました。J-1ビザでした。

佐藤勇介(21歳)・石井麻里子(21歳)
同じ大学の学生です。専攻はホスピタリティ・マネジメント――ホテル経営ですね。ネバダ大学ラスベガス校に通っています。日本の高校を卒業してから2年間、LCJに行きました。留学期間は2年半になる予定です。F-1ビザです。

Naoyuki Tsuji(22歳)
ミネソタ州立大学に留学中です。編入生で今1年生です。50単位近くを(日本の大学から)移行することができましたが、アスレチックトレーニングを学んでいるので、卒業するのにまだ3年かかります。F-1ビザです。

Tsubasa Wakabayashi(38歳)
ドイツの大学で研究員をしています。最初に留学したのは1994年から95年までで、ウィスコンシン大学マディソン校の法科大学院でフルタイムの交換留学生でした。2度目は、2001年から02年まで、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の法科大学院の法学修士課程に在籍していました。ウィスコンシンの時はF-1ビザで、ロサンゼルスの時はJ-1ビザだったと思います。

予備的な質問

1.留学経験をどのようにとらえていますか。

平川
とても有意義でした。米国での経験が、私の国連でのキャリアにつながったことは疑問の余地がありません。キャリア面以外では、私に人間的に成長する機会を与えてくれ、世界観が変わりました。

伊東洋輔さん

伊東
私の場合、すべてが日本と違うので最初の週はとても不安でした。留学したのはもうすぐ1月というころで、寒い冬の最中でした。雪に覆われ何もかもが真っ白でした。日本では雪はまれにしか見ないので、本当に寒かったです。大学は大自然の真ん中にありました。東京とは正反対で、すべて違いました。

Kodera
最高でしたね。私の学生時代で最も重要な経験でした。米国に行ってから、アメリカン・フットボールのチームに入ることに決めました。おそらく私はレークランド大学史上初の、日本人アメフト選手だったと思います。いくつかのゲームでプレーしました。アメフトの経験は皆無で、最初はとても緊張しました。ほかのアメリカ人選手がとても温かく受け入れてくれ、いろいろ教えてくれました。だからとても楽しかったです。

2.最も良かったことは何ですか。

小藤
多くの人と出会えたことですね。アメリカには多くの人種が生活しているので、いろいろな価値観の人と出会うことができました。ヒスパニック系アメリカ人、アジア系アメリカ人など、いろいろな事情で移住してきた人と話すことで、世界で起きていることや歴史をもっと知りたいと思うようになりました。そして、いろいろな境遇で生活している人を見ることで視野が広くなりました。

アメリカの大学では、このように多様な人たちと一緒に学ぶことができます(写真提供 中瀬陽)

中瀬
友達ですね。例えば、自分が興味のあることについて話せる人たちに出会い、彼らがとても誠実に接してくれること。それが一番良いことですね。留学する前の私は、家族もいたし、高校では自分のことばかり考えていたので、正直言って私自身があまり良い友達ではありませんでした。大学では常に誰かと一緒です。友達が腹を立てたり、具合が悪かったりすると、彼らの別の面を見ることになります。そうすると、皆それぞれ違う人間であることに気づきます。友達を尊重し、その行動を信頼せねばなりません。私はたくさんのことを学びました。良い友達になるにはどうすればよいか、といったことです。

佐藤
日本は島国じゃないですか。アジアの人もいますが、大多数は日本人で、文化も日本だけです。日本のことを嫌いになっていたんですよね。皆同じで、同じように考え、同じような思い出を持っているので、なんだかつまらないなあと思って。それでアメリカに行ってみると、日本は良い国だと思うようになったのです。自分の国を出てみて初めて、日本はいい国だと気づきました。それまでは例えば電車とか、人がいっぱいで嫌だと思っていたのですが、日本に帰ってきてみると、日本は便利だなあと思います。車を運転しなくてもどこへでも行けますし。日本を出て初めて、自分の国の良さが分かりました。これが留学して一番良かったことです。

3.最も苦労したことは何ですか。

伊東
それは言葉ですね。授業で教授がとても速く話すので、何を言っているのか分からない時があります。ノートを取っているために、言葉を聞き逃すことがあります。クラスメートは全員アメリカ人なので、分からないのは私だけです。でも助けてもらえます。時には教授が研究室にいるオフィスアワーを利用して、何て言ったのか尋ねることもあります。彼らはとても親切です。教授たちと話すのは楽しいし、興味深くもあります。

中瀬
文化的な違いを受け入れることが一番難しいですね。日本では、文化的違いや人種について考えなくてもいいですからね。外国に行ったら、もっと慎重に行動し、自分の発言に責任を持たなければなりません。気をつけていても人種差別的なことをしていることがあるかもしれません。ですから、そういうことのないように心掛けて、違う経歴を持つ大勢の人たちと出会うよう努力しています。

石井
生活でしょうか。親元を離れて自分で何でもやらなければならなかったので。洗濯や、アパートに住むなら自分で契約しなくてはいけません。

4.留学の経験から何を得ましたか。

樫本
外国の人たちと話せたことがとてもうれしいです。それで彼らの考え方を理解することができたわけですから。今は世界中にたくさんの友達がいます。

小藤理絵さん

小藤
語学が堪能になったとか、今の仕事に結び付く勉強ができたのも大きなことですが、異文化の中で多くの苦労や困難を乗り越えられたことにより自分に自信がつき、その後に何か困難に直面したときでも、すぐにあきらめてしまうのではなく、何にでも挑戦し解決してみようと思うようになれました。

Wakabayashi
今では、日本やドイツで「普通」と呼ばれ受け入れられているもの以外にも、さまざまな生き方やものの見方があることが分かっています。何をすべきかを決める際に、そのような固定観念にあまり影響されずに、自分自身、家族、自分にとって大切な周囲の人々に相談したり、こうした人たちのことを考えたりすることができます。

5.なぜ留学したのですか。

中瀬
日本で勉強するのでは、4年間の充実した学生生活を送れないのではないか、と感じたからです。自分の本当に好きなことや夢中になれることを見つけたいなら、海外に行くべきだと思いました。(日本の)大学は規模がとても大きく、また入学する前に専攻を決めなければならないので、行くことに不安を感じました。日本の大学に行くのもいいと思いますが、私には向かないと思いました。

Wakabayashi
最初はただ外国に行って、アメリカがどんなところか見たかったのです。日常的な仕事に煩わされたり邪魔されることなく、できるだけ多くのことを経験するために、ひとりで生活し、ひとりで勉強し、私の小さな生活(空間)の外にあるすべてのことを見てみたかったのです。

American Viewの読者からの質問

1.留学前から何を勉強したいか分かっていましたか。何を勉強するか、どこで勉強するかをどうやって決めましたか。(大阪府在住の読者)

浜田
私はパブリック・ジャーナリズムに興味があったので、その研究をさらに進めて、社会保障制度の維持や高齢化社会への支援に対する一般市民の関与を深めてもらうために、新聞やジャーナリストにできることがあるかを知りたいと考えていました。日本でも利用できる有益なツールだと思ったのです。フルブライト奨学金を受けた後で、客員研究員として受け入れてくれる機関を探しました。それまでミネソタには一度も行ったことはなかったのですが、ミネソタの新聞社2社がパブリック・ジャーナリズムの考え方に強い関心と熱意を示していました。

平川
私はすでに日本の大学院で同じ分野(国際関係学)を勉強していたので、米国で何を勉強するかは全く問題なく決められました。各学校のプログラムの目的(例えば、専門職向けのプログラムか学術的なプログラムか)、受講できる講座の種類、教員の顔ぶれ、卒業生について検討し、留学先の学校を絞り込みました。こうした情報はインターネットで容易に入手することができます。

佐藤勇介さん

佐藤
昔旅行したとき、当時は英語がしゃべれなかったので、ツアーガイドさん付きだったのです。オーストラリアへ行ったのですが、ガイドさんがアボリジニー語を含めて3つの言語を話せたのですごいなと思いました。それでホスピタリティーっていい業界だと思い、どんどん興味が増していきました。有名な大学はどこか調べたのですが、日本にはホテル学部がある大学があまりありませんでした。それでアメリカに目を向けたらネバダ大学ラスベガス校があり、自分に合っているのではないかと思い、どうしようか、どうやったら行けるのかと考え始めました。LCJにいったん入学してネバダ大学に編入すればいいことが分かりました。

2.学資援助を受けましたか。内容はどのようなものでしたか。どうやって見つけましたか。(茨城県在住の学生)

平川
私は米国留学中に3つの奨学金を受けました。フルブライト奨学金は、健康保険料と旅費、ロータリー奨学金は授業料、そして日本育英会は生活費を支給してくれました。海外に留学する学生を対象とする奨学金のリストは、留学ガイドブック、ウェブサイト、情報センターなどで見つけました。また、奨学金の申し込み準備の際には、こうした奨学金を受けたことのある人々からアドバイスをもらいました。

中瀬
私はグルー・バンクロフト(GB)基金の奨学金生です。大学は私に、GB基金から推薦された学生として、奨学金を支給してくれています。

Tsuji
私は奨学金を受けました。ミネソタ州立大学は留学生全員に奨学金を支給しますが、留学生はその見返りとして、学校でのボランティア活動など文化活動で貢献しなければなりません。約30時間のボランティア活動と、GPAを(一定のレベルで)維持することが要求されます。そうすれば奨学金を受給できます。

3.パートタイムの仕事をしましたか。どのようにして見つけましたか。最も多いパートタイムの仕事は何ですか。(富山県在住の読者)

平川
2001年の6月から8月まで国連で夏季インターンとして働きました。インターンシップ制度に関する具体的な情報は、国連のウェブサイトから入手しました。インターン中はニューヨーク国連本部のある部署に配属され、具体的な任務を与えられてインターン期間終了までに完了させなければなりませんでした。また、私はこの機会を利用して、国連で働く同じ大学の卒業生に会ったり、国連で開催される市民集会や公開講演会に参加しました。学生仲間の多くが、非政府組織(NGO)の現地事務所で研修する機会を探していました。

伊東
キャンパス内ではパートタイムの仕事をすることができますが、キャンパス外ではできません。法律違反です。私は大学の新聞制作に携わりました。

佐藤
ホテル経営を専攻すると、1000時間の実務経験が卒業要件として課され、これを満たさないと卒業できません。そのような場合には留学生担当事務局へ行って実務経験が必要だと言えばいいです。仮の社会保障番号をくれるので、パートタイムで仕事をすることができます。

(米国大使館からの注意事項)

F-1ビザ保有者が働く許可を得ることができるのは、特定の場合に限られます。M-1ビザ保有者は、プラクティカル・トレーニングの一環として就労が必要であり、かつ米国市民権・移民業務局(USCIS)の事前許可が得られた場合に限り、働くことが認められます。同行した家族がF-2やM-2の資格で働くことは認められません。ただし、職業訓練や趣味など限られた分野でパートタイムでの就学は可能です。詳細についてはこちらをご覧ください。

4.留学した時、結婚していましたか。家族を同伴しましたか。住居探しや旅費などで問題はありませんでしたか。(東京都在住の読者)

国連本部でノーベル平和賞のメダルを指差す平川さん(写真提供 平川純子)

浜田
はい。結婚しています。でも子どもはいません。妻も同行し、ミネソタで11カ月間過ごしました。米国に出発する前に半年以上もありました。在日米国大使館がイベントを企画し、米国に行く予定の日本人家族と、日本にやって来たばかりのアメリカ人家族を招待してくれました。このイベントで、日本に来たあるアメリカ人家族と知り合いになりました。彼らはミネソタ州セント・ポールの郊外に家を持っていました。1年後にはミネソタに戻るつもりで、それまでの間だけ家を貸す必要がありました。私たちのミネソタ滞在は1年の予定だったので、ちょうど良かったのです。実はインターネットでアパートを探していたのですが、この家族と知り合えてとても幸運でした。こうして私たちは、中流階級の人々が住む地域にある、この家族の家に移り住みました。

5.家族が同伴した場合、家族のビザを取得するのはたいへんでしたか。配偶者は働きましたか。家族はどのように感じていましたか。(富山県在住の読者)

浜田
いいえ、難しくはありませんでした。特にフルブライト研究者の場合、(ビザ申請に)必要な書類は容易に入手できると思います。実は(妻は)ESLプログラムで英語を勉強しました。ミネソタ大学にはとても素晴らしいESLのプログラムがあり、妻はとても良い先生やクラスメートに出会いました。学校には地元の学生とペアを組んでいろいろと教えてもらう「バディプログラム」があり、(妻は)ある大学生とペアを組みました。彼女はとても親切な人で、2人はたいへん良い友達になりました。今でもクリスマスカードやプレゼントを交換しています。妻はミネソタでの生活をとても楽しみました。おそらく私よりも楽しい経験をしたのではないでしょうか。妻が社交的で友達をつくり、楽しく過ごしていたので安心しました。ですから妻は寂しいのではないかと心配する必要はありませんでした。

6.留学中、節約する必要がありましたか。節約のためのアドバイスはありますか。(東京都在住の学生)

二村
大学の寮制度によるので一概には言えませんが、私の留学した大学では大学寮費が割高で、一般の賃貸物件で研究科内外の院生と共同で生活しました。ルームシェアは大学の寮で1人で住むよりも安かったですね。学内の寮か学外の賃貸物件かを問わず、家賃の負担が大きいと感じたら、知人にいくらぐらいの物件に住んでいるかを聞いて、相場を把握しましょう。私は結果的に、6年半の滞在で5つの異なる場所に住みました。また、ほとんどの場合外食を避けて自炊しましたが、楽しかっただけでなく節約になりました。最後に、家具や衣類については、近所で開催されるガレージセール(車庫前で不用品を販売するイベント)を回ったり、中古品店を回ったりして探しましょう。後者の例はGoodwill、Salvation Armyなどで、多くの都市で見つかると思います。商品の質は落ちますが、留学期間中にのみ使用すると割り切って使うにはお得感があります。

平川
経済的に困っていなくても、日本人留学生には、節約のためだけでなく、アメリカ文化への理解を深め、仲間の学生と緊密にコミュニケーションを取るためにも、大学寮に住むことを強く勧めます。仲間の学生から、節約のコツ(例えば割引クーポンの利用など)を学びました。

7.ホームシックにかかりましたか。その場合どのように対処しましたか。(富山県在住の読者)

大学院時代にケンタッキー代表としてイベントに参加した二村さん(写真提供 二村太郎)

中瀬
ホームシックにかかった時は、そのままやり過ごします。スカイプ(インターネットを用いる無料電話)で両親と話したり、その時にできることをして、あとはやり過ごしますね。外出したり、友達と一緒に遊んだり。ただのんびりしたり、写真を見たりします。ホームシックにかかると、いつも自分の部屋の中にいたり、ひとつの場所に閉じこもるというように、自分の殻に引きこもりがちになってしまいます。だから、どこか知らない場所に出かけて行くなどして、日常生活に多少変化を加えると、ホームシックが和らぐのではないかと思います。

佐藤
少し(ホームシックを)感じました。日本に戻ってくる直前は、帰りたくて仕方ありませんでした。1年間ずっとアメリカにいて、今回初めて日本に帰ってきました。(ホームシックの時には)スカイプを使って電話します。顔も見えるし、無料ですし。それでもだめだったら、同じ国の友達と話します。

8.カルチャーショックを感じたことはありましたか。そのうち感じなくなりましたか。(東京都在住の学生)

平川
よく言われるように、日本の文化では、時間厳守と相手を中心に考えることが要求されます。従って、あまり時間を守らない、気楽な文化に慣れるのに時間がかかりました。当初は、アメリカ人はかなり怠惰だと感じ、彼らが時間に遅れることにいら立ちを感じることが多かったのですが、そのうちに逆のことを考えるようになりました。つまり、日本の社会は時間的プレッシャーがあまりにも強く、そのようなプレッシャーから解放されることはより健康的かもしない考えるようになったのです。結局この経験は、私が国連のような文化的多様性に富んだ環境で働く上で役立ちました。

大出
ボストンは、本当に大きな都市です。ですからカルチャーショックはあまり感じませんでした。日本の食品であろうと、中国、イタリア、あるいは韓国の食品であろうと、ないものはありませんでした。アメリカに行く学生には、分からないことは(周りの人に)教えてもらうことをお勧めします。

佐藤
まずショックだったのは食べ物ですね。20年くらい日本にいたので、やっぱり和食がいいですよね。日本では魚が多いですが、向こうでは肉が多いですよね。味付けもシンプルではなく、複雑です。それが合わないので少し大変でした。でも、今は慣れてきました。

9.けがや病気など緊急事態に直面したことはありますか。どのように対応しましたか。(京都府在住の読者)

小藤
急病になった時は一人暮らしで、夜11時を過ぎていたと思います。救急処置室へ行って多額の医療費がかかるのが怖かったので、自宅にあった薬で一晩過ごし、次の日に病院に行きました。アメリカで暮らす上で、健康保険に入っておくのは大切なことだと思います。

10.偏見、固定観念、差別などを経験したことはありますか。どのように対処しましたか。(東京都在住の学生)

伊東
そうですね、数回だけですね。アジア人全体に対する差別ですね。例えば、大学寮に住んでいた時、隣の部屋から「アジア人は自分の国に帰れ!」という声が聞こえました。アドバイザーに相談すると、問題解決を手伝ってくれました。カルチャーショックを受けたら誰かに相談するといいと思いますよ。

中瀬
アメリカ人よりも、日本の近隣諸国からの来ている人々から固定観念で見られました。中国やベトナムの人は、日本への関心が強いからかもしれませんが、日本人、特に日本人女性に対するイメージを抱いていたようです。「それって日本のファッション?」とか「そうするのが好きなの?」というような質問をよくされました。

11.転校しましたか。転校が特に難しいということはありませんでしたか。(愛知県在住の学生)

小藤
コミュニティーカレッジから4年制の大学に編入しました。特に大変な思いはしていません。コミュニティーカレッジに入学した時は大学編入を決めていたので、大学の進学カウンセラーと相談しながらクラスを選択していました。なので編入時に問題などはありませんでした。

佐藤
ちょっと難しかったです。本当ならTOEFLのスコアが550点必要ですが、LCJでライティングの授業を取っていたので免除になりました。アメリカ大使館へ行ってビザの手続きをするのは大変で、時間もかかりました。オンラインでの申請も大変でした。最初はF-1ビザという意味も知らなかったんです。ビザは1種類しかないと思っていて、いろいろな種類のビザがあることも知りませんでした。

12.米国に留学していて安全だと感じましたか。用心のために何かしたことはありますか。(埼玉県在住の学生)

樫本
アメリカに行く前は拳銃が怖かったのですが、全く危険なことはありませんでした。

Kodera
危険とは感じなかったですね。それは多分(アメリカの)地方に住んでいたからでしょう。私の出身は北海道なので、環境がとても似ていました。

小藤
留学の場所をカリフォルニア州アーバインに決めたのは治安が良い場所だったからです。アーバインはアメリカ国内でも特に犯罪率が低い地区でした。実際に、生活していて危険と感じることはほとんどありませんでした。でも犯罪率が低いとはいえ、夜間に歩いて外出はしないようにしていましたし、自ら危険な状況をつくり出すような行動をしないようにしていました。

Wakabayashi
ウィスコンシンは安全だと感じました。私の学校には、図書館から寮までの夜間無料バス、警備員によるエスコートサービスなど、とても良いサービスがあり、私もよく利用しました。ロサンゼルスに移る時にはとても怖く感じました。ですから、住むのに最も安全な場所として知られている地域を選びました。車を持っていましたが、危険な場所(例えばダウンタウンなど)には、特に夜1人では行きませんでした。でもしばらくたつと、安全だと感じるようになりました。

13.友達づくりは難しかったですか。より多くの人に出会うための最良の方法は何だと思いますか。(東京都在住の学生)

石井
生活の面でも勉強の面でも、ルームメートと仲良くなるのが大事だと思います。最初は誰でも友達がいないものですが、毎日一緒に生活するので、ルームメートとは友達になりやすいです。

伊東
そうですね、日本の文化のせいで、大抵の日本人にとって友達づくりは難しいと思います。実際、日本人はとても恥しがりやですからね。大学で何かのグループに参加するといいと思います。私の学校にはそのようなグループがあるので、グループを通して友達をつくることができます。

Tsuji
ミネソタ州立大学のオリエンテーションでは良いプログラムがあり、(自己紹介の)ゲームのようなことをしたり、新しい留学生のためのパーティーもありました。なので友達を簡単につくることができました。

14.どのような活動やイベントに参加しましたか。何かお勧めの活動はありますか。(神奈川県在住の読者)

卒業式の樫本さん(左) (写真提供 樫本くみ)

平川
ユニークだと思ったのは、新しい教員を選考する学生委員会のメンバーとしての経験ですね。大学が新しい教員を採用する際に、学生5人で構成される委員会を設置しました。この委員会は、候補者との面接を行い、学生から候補者に対する率直な意見を求め、教授陣に推薦するなど、選考過程に深くかかわりました。学生が教員の採用プロセスにこれほど深くかかわることは、日本では聞いたことがありません。このようなユニークな経験ができたことに感謝しています。

小藤
コミュニティーカレッジの時は日本人留学生のクラブに入っていて、留学生の皆でイベントをしたり、グループで旅行に行ったりしました。大学時代は、テレビ制作学科や映画学科で学んでいる学生のクラブに入っていました。テレビの収録を見学に行きました。あとは、テレビ業界で働いている卒業生と出会える場でもありました。

Wakabayashi
大学や学生が主催するイベントやパーティーへの参加を勧めます。そこで、自分と同じような経歴や分野の学生やその他の人々に出会うでしょう。勉強で忙しいかもしれませんが、そのようなイベントに参加するようにすべきです。1人で勉強することも大切ですが、イベントに参加したり面白い人たちに出会うことは、日本ではできませんからね。

15.学校以外に、英会話の上達を支援するグループや、趣味のグループがありましたか。こうしたグループをどうやって見つけて、どんな活動をしましたか。(神奈川県在住の読者)

石井麻里子さん

小藤
留学あっせん会社で紹介してくれたアメリカ人大学生と週に1回くらいの頻度で会って、宿題を手伝ってもらったり、映画を見に行ったり、お茶をしました。それ以外でも、語学学校も同じようなプログラムをしていたと思います。

16.コミュニティーカレッジへの留学を決めたのはなぜですか。行きたい学校をどのように見つけたのですか。どのように出願しましたか。(愛知県在住の学生)

小藤
コミュニティーカレッジの方が学費が半額近く安かったからです。あと、4年制大学に比べて、TOEFLの入学基準も多少低かった気がします。それに、多くのアメリカ人も大学に必要な単位をコミュニティーカレッジで取得し、大学に編入するのは普通だと聞いていました。私にとって、コミュニティーカレッジから4年制大学への編入はごく自然でした。コミュニティーカレッジは、語学学校周辺にあるカレッジをすべて調べた結果、自分の卒業したカレッジに勉強したかった学科があったこと、その学科のカリキュラムが優れていたことを知り、その学校に決めました。あとは、当時車がなかったので、バスで通学するのに比較的近くて楽だと思ったからです。

17.米国留学に際し、日本から持参した方がいいものはありますか。(富山県在住の読者)

浜田
日本の自宅やアパート、自宅周辺、あるいは職場の写真をできるだけ多く持って行くことを勧めます。日本での生活や職場の様子を見せるためです。私も、アメリカの友達に見せるための写真を、日本でもっとたくさん撮っておけば良かったと思っています。アメリカの友達は、私たちの日常生活に興味深々で、とても知りたがっていました。彼らは京都や鎌倉などの名所の写真はよく見るので、個人の生活の様子を知りたいのです。

平川
自分の好きな日本の食品以外には、日本の薬を持って行くといいでしょう。薬のブランド名が同じでもアメリカのものは強すぎるかもしれません。

中瀬
私は、むしろたくさん物を持っていかないことを勧めますね。私自身は、念のためにいろいろなものを持って行きましたが、住んでいるうちに、現地で調達する方がはるかに良いことがわかりました。ほかの人と分かち合えるのでその方が良いと思います。何もかも持っていると、他人と分かち合う機会がありませんからね。多くを持たなければ、誰かと分け合うことを通して、その人と知り合うことができます。今、振り返って見るとそう思います。その方がもっと簡単に周囲に溶け込むことができると思います。

留学中の大出さん(写真提供 大出幸子)

大出
私の場合、歯ブラシ探しにたいへん苦労しました。日本の歯ブラシはとても小さくて、私には使いやすかったのですが、同じようなものがアメリカでは見つけられなかったので、子ども用歯ブラシを使っていました。自分用の歯ブラシを持って行くこと。それでホームシックにかかる可能性が減るなら、たやすいことです。

佐藤
日本の本ですね。たまに日本語が恋しくなるんです。アメリカでは90%は英語で過ごします。たまに自分の国の言葉を読みたいなと思います。次にアメリカに戻る時は本を何冊か持っていくつもりです。

Tsuji
浴衣や下駄など日本の伝統的な衣服や履物を持って行くことを勧めます。ほとんどの学校で、国際フェスティバルが催されます。私の学校にもあり、私も参加しましたが、(伝統的な)衣服や履物を持っていなかったので、身に着けることができませんでした。ほかの留学生はそれぞれの伝統的な衣服を持っており、それを身に着けていて、私はすてきだと思いました。

その他のコメント

二村
米国留学が人生の一部であることを常に心に留めておくこと。留学の目的を熟考すること。留学を成功させる上で最も重要なことのひとつは、自分が掲げた目標を堅持し、それに向かって進むことです。目標の細部が分かっていなくてもかまいませんが、目標に向かって進むことが極めて重要です。親の仕事に左右されて海外経験を余儀なくされる帰国生とは異なり、自ら決断して行う留学に責任を持つことはとても大切です。そうしないと簡単に失敗してしまいます。また、日常の何気ない話題から深刻な悩みまで、信頼して話ができる人を常に複数確保すること。人生の全てを(自分だけで)決めることはできません。仲間からの助言は常に役立ちます。(仲間に)いろいろな人がいればいるほど良いと思います。

平川
ボストンで学んでいる時、映画「パールハーバー」を見る機会がありました。この映画は、日米間のコミュニケーションが深まっているにもかかわらず、歴史と文化に対する相互理解に、依然としてどれだけのギャップが存在するのかということを思い知らせてくれました。使い古された決まり文句ですが、「百聞は一見にしかず」という言葉で結びたいと思います。私は、皆さんが米国で必ず何か新しいものを発見すると信じています。同時に、皆さんの存在が、アメリカ人にとって、日本について何か新しいことを学ぶ機会になるでしょう。

Kodera
日本人は皆、外国に行くべきだと思います。少なくとも1回は行くべきですし、若い時に行く方が良いです。特に日本の場合、国民の多くが自国にしか目を向けておらず、他の文化や国や人々との比較がなかなかできません。日本しか見ていないので、視野はとても狭くなります。でも、他の文化や人々に出会ったり触れ合ったりすれば、ほかにも彼らの将来の可能性があることに気づくことができます。

小藤
留学できるなら、限られた時間で、勉強だけではなく多くの経験をしてください。好奇心を持って、いろいろなことに挑戦してください。私は大学4年生の時、3つの会社で研修する機会がありましたが、これは自分の将来やりたいことを確認する大切な経験となりました。留学する際、自分の目標を設定するのも留学を成功させるひとつのポイントだと思います。自分の留学生活は山あり谷ありで、決して楽しいだけの6年ではありませんでしたが、がんばってやってきて自分の目標を達成することができました。

Tsuji
留学を希望する人は、(米国の)宗教事情を理解し、自分の宗教についても知っておくべきです。私は何人もの人から「あなたの宗教は何か」と聞かれました。私は信仰心が強くないので、通常は無宗教だと答えます。すると、「なぜ?」と聞かれます。(私の学校の)ほとんどの学生は、当然ながらアメリカ人で、キリスト教徒かユダヤ教徒です。時々、宗教に関するプログラムがあり、まじめなプログラムです。ですから、(ほかの日本人学生が)宗教についての知識がなく、不適切な発言をすると、ちょっと面倒なことになることもあります。

Wakabayashi
どのような場合も、留学することは良いことだと思います。確かに留学が適さない人もいます。でも、少なくとも試すだけの価値はあります。皆さんがどのような人生を歩むことになろうとも、自らを知り、自らを疑い、自らを励まし、困難を乗り越えることは、今後の人生にとって重要でしょう。言葉や文化の違いを超えて友達をつくることによって、世界を知るための新たな視点が生まれます。